No. |
101 |
社名 |
伊勢両宮神社 |
御祭神 | 天照皇大神、豊受大神 |
例祭日 | 11月3日 |
鎮座地 | 〒979-0145 いわき市勿来町四沢伊勢林1番地 |
宮司名 | 秋元 俊克 |
連絡先 | (0246)64-7679 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
文禄7年時の領主窪田山城守家盛の叔父道通なる者心願の筋これあり松山寺法印宥上人との協力により勧請するところのものである。神城は前九年の役に源義家の陣せし亀岡館である。(是れより先天正2年9月9日宥長法印多夢を蒙り夢中に一首を得て曰く、「ながき世も豊葦原の国ならんおもふにまさる種々の年縄」恁て法印も心にかけつつありしに、恰もよし道通の心願を果すにあい喜んで力を協せたるなり、年々正月16日の再度祭典を挙ぐ。当日は即ち領主の定紋打ちたる幔幕を張り廻らし仮屋を調へ領主の代拝ありて奉納を行う。古くより伊勢皇大神宮に祀れるところの天照皇大神を内宮に豊受大神を外宮に祀られる。)然るところ昭和29年12月25日払暁不幸にして浮浪者の出火により灰燼に掃す。由って昭和31年7月16日大字関田四沢の氏子参集し再建を図るべく建設委員会を組織、遠近崇拝者の篤志を得て両宮の再建に着手す。維時昭和32年9月6日工事順調に進捗し、昭和33年4月5日伊勢市伊勢神宮に参向の上、斎戒沐浴し御神・を拝戴す。翌7日薄暮勿来駅頭に氏子崇拝者の出迎えを受け、古式により両宮神社の奉遷鎮座祭を執行した。5月6日献幣使福島県神社庁長の臨席等拝を仰ぎ遷宮式を了した。尚7月10日に伊勢神宮宗務課長桜井勝之進氏親しく参拝され永遠に社運の隆昌ならひことを祈念す。 (出典 福島県神社名鑑) (写真提供 後藤和博氏) |
No. |
102 |
社名 |
熊野神社 |
御祭神 | 伊邪那美命、速玉男命、与母津事解男命 |
例祭日 | 10月第3日曜日 |
鎮座地 | 〒972-0253 いわき市遠野町大平字物見岡90番地 |
宮司名 | 芦間 好弘 |
連絡先 | (0246)89-2260 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
古伝によれば、延暦年間田村麿将軍当村舘の腰という所に当社を創建、東夷鎮定、国家安泰を祈り、崇敬の意を諸臣に示したという。天長年間野火にかかり記録類を焼失、その後この物見岡の丘上に遷斎、更に天永二年再建、又元久二年霜月十日造営、物見岡熊野大権現と称した。尚天永二年の棟札によれば「当社は上遠野郷の惣社、領主国入りの時必ず社参のこと。十一月卯の日年々の新嘗祭行え古例怠るべからず」と記されている。明治六年村社に列格、昭和二十七年宗教法人法による神社として氏子崇敬者の尊崇をあつめている。 (出典 福島県神社名鑑) (写真提供 後藤和博氏) |
No. |
103 |
社名 |
熊野神社 |
御祭神 | 菅原道真 |
例祭日 | |
鎮座地 | 〒974-8232 いわき市錦町御宝殿81番地 |
宮司名 | 下山田 大膳 |
連絡先 | (0246)62-2207 |
URL | |
その他 | (写真提供 後藤和博氏) |
No. |
104 |
社名 |
鹿島神社 |
御祭神 | 武甕槌之大神 |
例祭日 | 5月3日 |
鎮座地 | 〒971-8185 いわき市泉町字小山164番地 |
宮司名 | 熊澤 昭司 |
連絡先 | (0246)96-6543 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
平安時代初期、桓武天皇の時代に坂上田村麿は朝廷の命を受け蝦夷征伐の折、戦勝を祈り平和を願い延暦二十一年三月二十七日(西暦八〇二年、今より千二百年前)常陸の国鹿島神宮の御分霊を当地菊田郡泉村八木屋小迫小丘に遷座されたのがこの神社の創立と古文書に記されている。その後、元禄四年中初代泉藩主内藤丹波政親公氏は同所に新城建築の折、鹿島神社の地に係わりに依り現在の地小山へ社殿替えされ現在に至る。 (出典 福島県神社名鑑) (写真提供 後藤和博氏) |
No. |
105 |
社名 |
真弓神社 |
御祭神 | 大名牟遅命 |
例祭日 | 11月3日 |
鎮座地 | 〒979-0151 いわき市瀬戸町東瀬戸112番地 |
宮司名 | 加藤 由美 |
連絡先 | (0246)64-7828 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 | (写真提供 後藤和博氏) |
No. |
106 |
社名 |
諏訪神社 |
御祭神 | 健御名方命、誉田別命 |
例祭日 | |
鎮座地 | 〒971-8185 いわき市泉町六丁目10番地の17 |
宮司名 | 飯塚 宜弘 |
連絡先 | (0246)56-6450 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
諏訪八幡両神大同年中亀石ヶ原に現れ給うと、岩城判官政氏公先規に任せ御鎮守と御取立、中興開基し給うと、天文年中津波寄り、社殿破却、滝尻上の山に遷座、寛永5年平より内藤右近政晴公泉に分封されるや、泉藩の祈願社と定め、延宝2年泉町の内岩城判官政氏(森鴎外の小説安寿と厨子王の父)の旧舘跡に奉遷、諏訪大明神、正八幡宮2社に分祀尊崇篤し、後、板倉伊豫守重周公代わりて封ぜらるるも崇敬怠らず、元禄15年水田拾石を付して神田となす。ことに延享2年本多越中守忠恕公藩主となり、更に米十俵金子壱両を祭祀料とせられ春秋の祭祀厳修、明治3年に及ぶ。現本殿は、寛政8年二代本多弾正大弼忠躊籌公の御造営にかかり、明治6年郷村社御更立に際し、諏訪八幡両神合祀郷社に列す。昭和49年11月現社地御遷座300年記念奉祝、幣殿拝殿を改築、開拓治氏の御稜威御神徳の昂揚を祈念す。春秋神輿渡祭・夏祭獅子舞棒術・子供角力・秋祭・流鏑馬・奉幣行事(正月二日参り・清祓) (出典 福島県神社名鑑) |
No. |
107 |
社名 |
諏訪神社 |
御祭神 | 建御名方命 |
例祭日 | 1月27日,8月27日 |
鎮座地 | 〒972-8337 いわき市渡辺町中釜戸字滝ノ沢1番地 |
宮司名 | 中村 万里子 |
連絡先 | (03)5996-4475 |
URL | |
その他 | 連絡先 〒161-0032 東京都新宿区中落合1-8-8 |
御由緒等 |
No. |
108 |
社名 |
八幡神社 |
御祭神 | 誉田別命 |
例祭日 | 9月15日 |
鎮座地 | 〒974-8261 いわき市植田町八幡台2番地 |
宮司名 | 宮川 千春 |
連絡先 | (0246)62-2642 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
No. |
109 |
社名 |
國魂神社 |
御祭神 | 大國主命 |
例祭日 | 4月第3日曜日,10月第3日曜日 |
鎮座地 | 〒972-0162 いわき市遠野町滝字西之内42番地 |
宮司名 | 伊藤 司 |
連絡先 | (0246)89-3822 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
No. |
110 |
社名 |
國魂神社 |
御祭神 | 大国主命、事代主命、須勢理姫命、少彦名命 |
例祭日 | 10月体育の日 |
鎮座地 | 〒979-0141 いわき市勿来町窪田馬場72番地 |
宮司名 | 宮川 崇 |
連絡先 | (0246)65-2384 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
大同元年菊多の国造が出雲大社より勧請奉斎し、代々国造自らが祭祀を掌ったと伝えられる。保元二年に至り時の領主国井政広・鎮国のため、常陸の国より春日の御神体を勧請・当社に合祀し、領主および領民の氏神として尊崇された。窪田山城守平昌清の代に至りこの地を窪田と称し、当社を窪田郷の郷社と崇めた。その後、水戸領主佐竹江戸時代に至り棚倉藩主の崇敬厚く、社領の寄進を受け明治に至る。 粕掴神事 戦国の世に時の領主が戦に勝ち、人の首級に代えて鮭を神前に捧げ、その肉を濁酒の粕中に雑え、神前に供えて後、村人等がこれを争いとりこれを肴として、社殿に於いて神酒を飲み共に戦勝を祝うことより始まりました。この粕を食した人は、その年は無病息災と言い伝えられています。 (出典 福島県神社名鑑) |
No. |
111 |
社名 |
藏皇神社 |
御祭神 | 安閑天皇、金山比古神、蔵王大権現 |
例祭日 | 10月10日 |
鎮座地 | 〒979-0142 いわき市勿来町酒井出蔵142番地 |
宮司名 | 滑川 正仁 |
連絡先 | (0246)65-7301 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
No. |
201 |
社名 |
諏訪神社 |
御祭神 | 建御名方命 |
例祭日 | 5月4日 8月26・27日 |
鎮座地 | 〒970-0311 いわき市江名字走出162番地 |
宮司名 | 江名 守康 |
連絡先 | (0246)55-7468 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
天皇五十代桓武天皇の御代に道奥の酋長悪路王という者勢力強大にして横暴限りなく、天皇赫怒し給い、将軍坂上田村麻呂に東征を命じ、連戦速捷し、海岸の高丘に建御名方之命を斎つき奉り、武運長久・軍土安全の祈願を籠められ進軍し戦勝、依って一祠を建て神佑の威徳に報賽せられたり。是後の江名浜野土の地、是なり。その後社殿改築、昭和八年八月十七日地鎮祭、昭和十一年五月六日遷座祭を執行、昭和四十年十一月九日参道工事着工、同年十二月三十日完成。昭和四十一年一月三十日社務所新築、同年四月三十日完成、現在に至る。 氏子の若者に依る神輿渡御(五月四日) 獅子祭(八月二十六・二十七日) (出典 福島県神社名鑑) (写真提供 後藤和博氏) |
No. |
202 |
社名 |
諏訪神社 |
御祭神 | 建御名方神、八坂刀売神、大国主神、事代主神、船霊神、松尾神、八幡神、春日神 |
例祭日 | 5月3日 |
鎮座地 | 〒971-8161 いわき市小名浜諏訪町23番地の1 |
宮司名 | 小名川 祐輝 |
連絡先 | (0246)92-2656 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 | 当社は式外の古社で、建仁元年(1201年)岩城氏の支流とされる磐﨑将監が現在の長野県に鎮座します諏訪大社より御分霊を勧請し、岡小名宮ノ作の地に創建しました。そこには、今なお礎石や小詞等が残っており、近くには諏訪神社旧社跡と記された記念碑も立っています。やがて、至徳2年(1385年)現在地に遷座されました。このことから考えられますことは、当時の小名浜の生活産業基盤は農業中心でありましたが、この時代の前後に、漁業や水産業が発展し、地域の産業構造に変革が起こり海や浜を中心とする産業が発達し、現在の小名浜のまちの原型が形成されたのではないかということが推察できます。なお、現在のご社殿は、昭和5年総台湾檜で小名浜の宮大工が総がかりで建造したものです。 |
No. |
203 |
社名 |
金刀比羅神社 |
御祭神 | 大物主大神、金山彦大神 |
例祭日 | 1月10日 |
鎮座地 | 〒972-8318 いわき市常磐関船町諏訪下6番地の3 |
宮司名 | 金土 重順 |
連絡先 | (0246)43-1001 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
亨徳二(一四五三)年水野谷館主岩城氏水谷孫三郎平隆重の長子水谷太郎平隆則が、「威寶院(いほういん)」(現在の金土家)を興し。永正二(一五〇五)年その孫威奉院第3代弘榮が、日頃尊崇する四国の金毘羅大権現の御分霊を「威寶院」の氏神として現在の地に歓請鎮祭したのが金毘羅神社の興りであります、爾来、御神威四神に輝き、磐城四郡は勿論、常陸多珂郡の人々まで挙げて、尊崇の社でありました。 (出典 福島県神社名鑑) |
No. |
204 |
社名 |
金山神社 |
御祭神 | |
例祭日 | |
鎮座地 | 〒972-8316 いわき市常磐西郷町金山102番地 |
宮司名 | 西郷 健 |
連絡先 | (0246)43-4586 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
旧記に「原夫(もとそれ)金山彦大神は天智天皇白鳳にして、美濃の国不破郡府中建祭る所なりその額に題して正一位勲一等金山彦大神、日本書紀神代巻に伊弉諾、伊弉冉尊(いざなぎ、いざなみのこと)火の神を生み給ふ。悶熱悩みて吐す之の神、金山彦、金山比売と稱すとあり。康平6年(1063)三月詔奉じて源頼義東征の折神霊を奉体せり、よって戦捷霊威嚇々たり」と伝う。岩崎氏の一族、岩崎軍西郷邑の西郷(さいごう)三郎次郎吉久、この地に舘を構え西郷邑の舘主となり、祠を建て祭る神号を金山彦大権現と稱ひ西郷邑の鎮守となる。西郷邑の産土神として特に火伏の神と崇められ、また金銀財宝を司る神として庶民ことごとく崇拝する。元禄14年3月20日祠を社殿に改築、當時の棟札に「聖 聖中天中迦陵伽声衆生故我等今敬禮 胎蔵院別当前別当泰 現住別当泰運謹書記」とあり。 苔むす松の大樹は 今尚天をようて美観たり (出典 福島県神社名鑑) (写真提供 後藤和博氏) |
No. |
205 |
社名 |
熊野神社 |
御祭神 | 速玉之男神、伊邪那美命、事解之男神 |
例祭日 | 4月8日 |
鎮座地 | 〒972-8326 いわき市常磐藤原町藤代172番地 |
宮司名 | 佐藤 尊則 |
連絡先 | (0246)43-4897 |
iwaki.kumanojinja@gmail.com | |
URL | https://kumanojinja-iwaki.jimdofree.com/ |
その他 | |
御由緒等 |
神職佐藤家は延暦二年佐藤権守藤原吉次、熊野権現を勧請して自から神職となり奉祀とあり。当時大祢宜、小祢宜、氏子多数等ありて神事を司る。また、供僧六院あり、神蔵寺、藤本坊、川上坊、玉川寺、本宮坊、的本坊等あり、その他、修験の坊、また祭礼時の流鏑馬の宿坊、九月二十九日の祭礼には大床祓、大柏子羯鼓笛等山伏、騎馬二十騎行者五十余人装束に身をかためた神輿御神幸があり、下川においての潮垢離の行事あり、上中下藤原の産子皆奉仕せり。現在の佐藤吉則に至るまで実に四十一代たり。その間有為曲折ありしも連綿として神祀に奉仕せり。(歴代を略す)磐城旧領主鳥居公元和二年当社建立す。旧領主内藤因幡守祈願により、黒印地上畑四畝 十五歩下畑二畝十五寄進あり。明治十三年十一月二日社殿大破に及び新築届出、明治十八年四月三十日を以て新築落成す。その後向拝の増築、狛犬壱対の建設あり、昭和十六年九月十六日、東京都墨田区柳瀬製作所社長柳瀬富士男氏(当三十八代の神職佐藤丹波正藤原朝臣吉寿の子)が非常に敬神の念深く社前の荒廃を憂い悲しみ、氏子と計り、湯の岳の浄材をもって村人と共に昭和十七年六月三十日竣工を見るに至ったものである。 柳瀬氏の寄附は村民あげて、敬仰するところであり、狛犬も亦父君柳瀬兵太郎氏(故人)と共に寄附せるものなり。柳瀬氏の息子秀男君も神の御心に意をもちい、多額の寄附をなし神社興隆に貢献すること誠に大であり、一家皆敬神に厚きものあり。 惟みるに熊野神社(紀州和歌山県熊野大社)は全国に御分霊をいただき、おまつりしてある神社数は四千余社、本県だけでも二百七十七社あり、御神徳のあらたかな代表的な神様三柱をおまつりしてある。この三柱の神様は、それぞれ独特な御神徳をお持ちで(生成発展、修理固成)と申しまして、神人万物を育成すること、人倫の大本を教え導くこと、交通安全、海上安全、国家安泰、五穀豊穣の守り神である。また特に信義を固く重んじた神様で、昔から熊野牛王神符に起請文、あるいは誓書を書き、誓約は絶対に破ることのなかったことが特記すべき事実である。当社の神輿渡御は五年毎に盛大に執行いたしておる。旧神号熊野太神宮を明治二年四月一日熊野神社を改称す。紙面の都合で粗略に記す。 秋神輿渡祭・夏祭獅子舞棒術・子供角力・秋祭・流鏑馬・奉幣行事(正月二日参り・清祓) (出典 福島県神社名鑑) |
No. |
206 |
社名 |
温泉神社 |
御祭神 | |
例祭日 | |
鎮座地 | 〒972-8321 いわき市常磐湯本町三函322番地 |
宮司名 | 佐波古 直己 |
連絡先 | (0246)42-2007 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
上代の昔、現在地より4km西方に聳える霊峰湯の岳(別称)佐波古峰に鎮座在りしを、天武天皇二年(674年)にこの湯本三函の地に遷座し、最終に明和五年(1768年)現在地に遷座す。例大祭は別称さつきまつりと呼称し、花鎮めの意味。祭神は地下資源の神・医薬を司る神で延喜式内全国温泉神社の七社の内の一社で、湯本町の鎮守様として広く崇敬をあつめている。 本町の鎮守様として広く崇敬をあつめている。 神事:神輿渡御のほか、例大祭前日同市泉町下川の剣浦にて、海潮水汲神事を行い、神前に奉奠し祭儀を執行する。尚、毎月の七日にも海潮水を汲み、翌八日の月次祭に用い、翌九日湯の岳の御山の磐境神座に供えて登拝神事をする。 (出典 福島県神社名鑑) (写真提供 後藤和博氏) |
No. |
207 |
社名 |
住吉神社 |
御祭神 | 表筒之男命、中筒之男命、底筒之男命 |
例祭日 | 10月12日,10月13日 |
鎮座地 | 〒971-8124 いわき市小名浜住吉字住吉1番地 |
宮司名 | 渡邉 博昭 |
連絡先 | (0246)58-4526 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
由緒 当社は、延喜式内社として磐城七座の一社であり全国住吉神社七社の一社である。 先史時代湾内にあった小さな岩山が神格化され、その麓に社殿が祀られた。 第12代景行天皇の御代に、時の大臣建内宿禰が勅命を奉じて東北地方を巡視したおり、この住吉が陸と海との要害の地であり、東北の関門にもあたるので、航海安全と国家鎮護のため東北総鎮守として祀られた。 第70代御冷泉天皇の康平7年(西暦1064年)には、朝廷が勅使をお遣わしになって、東国の賊徒の平定を御祈願になり、源頼義は宝刀鵜の丸の剣を献じて武運を祈念された。 当社は朝野の崇敬厚く、鎌倉幕府は数千貫の社領を寄進しており、豊臣秀吉の時代は70石の神領が認められ、徳川時代は20石の朱印地を所有していた。東北総鎮守として北向きに建られた社殿は貞享元年(1684)平藩の領主であった内藤家においてお家騒動などが続き、その原因が平城を睨んで建つ当社にあるとされ、社殿の向きが変えられた。その時に内藤家より幅5間長さ200間の参道が寄進され現在も道路として残る参道は馬場とも呼ばれ、馬の訓練に使用できる真っ直ぐなものである。この道路に沿う町を新町と言い、従来の北側の参道沿いを大町と言う。本殿は寛永十八年(1642)の建て替えで拝殿は近年時代考証の上安土桃山様式に造り改められているられている。 神事 勅使参向式(例祭に行う) 源頼義が勅命を奉じて祈願したことを模した儀式である 流鏑馬(例祭に行う。同日摂社八幡神社祭礼) 康平年間より伝わる 蝗祈祷祭(旧歴6月13日) 稲の穂につく蝗などの害虫を追い払う祭儀 |
No. |
301 |
社名 |
飯野八幡宮 |
御祭神 | 品陀別命、息長帯姫命、比売神 |
例祭日 | 9月14日,9月15日 |
鎮座地 | 〒970-8026 いわき市平字八幡小路84番地 |
宮司名 | 飯野 光世 |
連絡先 | (0246)21-2444 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
社伝によれば、康平六年(一〇六三)源頼義が奥州合戦(前九年の役)出征の時、京都石清水八幡宮を戦勝祈願のため勧請したという。しかし、文治二年(一一八六)関東御領好嶋荘の総社として、源頼朝の命により本社石清水より御正躰を奉じて、赤目崎見物岡(現いわき駅北の高台)へ祭祀したとの別伝も記録に見られる。建永元年(一二〇六)二位禅尼北条政子が本願となって社殿を造営遷宮した。宝治元年(一二四七)時の執権北条時頼は、幕府政所執事伊賀光宗(宮司飯野家の祖)を好嶋西荘の預所に任命した。以後代々預所職と神主職を兼ね、現宮司飯野光世にいたる。 爾来星霜を経て、南北朝の騒乱は当社にも及び、兵火の災にあい社殿を焼失。建武二年(一三三五)足利尊氏に訴願して、好嶋荘地頭衆に命じ修復させた。この間、建暦元年(一二一一)御浜出の神事(潮垢離)、貞和二年(一三四六)放生会における流鏑馬の神事が行われるなど、数多くの祭礼行事がととのった。室町時代には神領の減少が見られたが、菊田・磐崎・磐城・楢葉・標葉の岩城五郡の総社として、岩城家を始め一般庶民からも厚い信仰を受けた。特に岩城家は数度にわたって所領を寄進し、天文二十年(一五五一)岩城重隆は梵鐘を奉納した。 慶長七年(一六〇二)鳥居忠政が磐城平領主となり、新たに築城するにあたり、旧地を離れ現在地に遷座したとされる。慶長十九年火災に遭い、元和二年(一六一六)再建された。当初は前殿付き流れ造りでであったが、延宝二年(一六七四)の大改修で桁行三間梁間三間のこけら葺入母屋造りとなり、幣殿・拝殿も造立された。幕府から神領として四百石の朱印地が与えられ、歴代の磐城平藩主も五十石の土地を寄進するなど、篤い崇敬によって護持されてきた。本地垂迹の説によれば、八幡大菩薩の本地仏は阿弥陀如来という。そのため、境内には武内社、春日社、白旗社などの末社の他、阿弥陀堂、釈迦堂、地蔵堂、十王堂、鐘楼などの佛堂が立ち並んでいた。さらに境域を取り囲むように、周辺には十六の供僧寺が軒を並べて連なり、ひときわ荘厳さを加えていた。 宮司飯野家のもとで、社家三十二人、神子八人、真言宗十六ケ寺の供僧たちが奉仕していた。明治初年の神仏分離令により、供僧寺とともに佛堂施設も除かれた。明治十二年、県社に列せられた。明治六年、宮号の使用が禁止された後は飯野八幡神社と称していたが、昭和三十六年に飯野八幡宮の古称に復した。 飯野八幡宮の祭礼は、九月一日の祭初祭(まつりはじめさい)からはじまり、九日の円座的祭(えんざまとまつり)、十三日の潮垢離(しおごり)神事と続く。潮垢離神事は、藤間海岸で宮司・騎士・馬の潔斎(けっさい)が行われた後、浜辺で採取した貝殻を杯にして直会(なおらい)がある。その後、青木・久保木・星野の三家に立ち寄ってサカムカエの儀を行う。裸馬に乗った騎士が庭先を駆け込むもので、「空駆け」あるいは「お走り」とも言われる。十四・十五日の例祭には、流鏑馬(やぶさめ)と八十八膳献饌(けんせん)の神事が行われる。流鏑馬の神事は、九月十四日と十五日の午後行われる。騎士は狩衣姿で笠、むかばき、箙(えびら)を着け、弓を持つ。笠は五色の紙垂(しで)で飾られる。馬の背には蒔絵の和鞍が置かれる。また、馬の四脚は、藤間の海岸から角樽(つのだる)で汲み上げてきたお潮で清められる。神前でお祓いをうけたあと、神域を一巡して一の鳥居の前で礼射式を行ってから馬場に向かう。馬場では空駆け、生姜撒き、扇子撒き、的矢の順で行われる。 十四日には献幣使を迎えての例祭が行われ、十五日の古式大祭には神輿渡御と八十八膳献饌の神事が行われる。神輿は稲荷台にある御旅所まで渡御した後、神社に還御する。その後直ちに、八十八膳の献饌が始まる。御餅、御汁、御料理、御菓子など、古くから定められた品々が、漆塗りの椀、高杯などの祭器に盛られ、唐櫃に収められて白丁により奉舁され、本殿をはじめ境内の摂社、末社に献饌される。 八幡宮の祭礼は、親も子も共に育つとの縁起で参拝者が生姜を買い求めるため、別名生姜祭ともいわれる。また、幼子の健康祈願のため、男子には太刀・太鼓、女子には手箱などを買い与える風習がある。 (出典 福島県神社名鑑) |
No. |
302 |
社名 |
子鍬倉神社 |
御祭神 | 稲倉魂命 |
例祭日 | 4月18日,4月第4土曜日・日曜日 |
鎮座地 | 〒970-8026 いわき市平揚土30番地 |
宮司名 | 上平 康秀 |
連絡先 | (0246)25-2091 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
当社は旧県社で祭神稲倉魂命を祀り衣食住の神として又、平の町の氏神様として尊崇されている。子鍬倉の社名は、日本全国ただ一社だけの社名であるばかりで無く、「子」は「蚕」を意味し、当地方でも養蚕の盛んな時代には蚕を「お子さん」と呼んで大切にしたように「子」は「衣」を代表する言葉である。「鍬」は農具を意味して「食」を代表し、「倉」は古代に於ける物品出納の場所で経済即ち「住」を意味して「子鍬倉」の御社名は正に「衣食住」を代表するに相応しい社名であり、よく御祭神の神徳を表現した尊いいわれのある名前である。創建は古く、平安時代第五十一代平城天皇の大同元年(西暦八〇六年)と伝えられ、第六十代醍醐天皇の御代の「延喜式」の神名帳に当神社の名がありこれは、「式内社」と呼ばれ由緒ある古い神社と称せられ式内社磐城七社の一つである。又古くは磐城四郡の総鎮守と称され、平城三社の一つとしても歴代の平城主の厚い尊崇を受け神領の忌辰を受けていた。明治六年三月に全国的に社格制度が実施され、当時磐前県は当神社を県社の第一号に指定した。これにより氏子民は地方神社の最高峰として尊崇の誠を捧げ、社格制度廃止の現在に於いても「県社」の愛称で親しまれているのは是所以である。当社は古来平桜町(現在の磐城桜ヶ丘高内)に鎮座したが、慶長七年(一六〇二年)平城主鳥居忠政が平城を築くにあたり社地を収めて当社荒廃するに至り、その後元和年間平城主内藤公は敬神の念厚くこれを嘆き現在の揚土台に当社を遷座したと伝えられる。 (出典 福島県神社名鑑) |
No. |
303 |
社名 |
諏訪神社 |
御祭神 | 健御名方神、八坂刀売命 |
例祭日 | 5月4日,8月26日 |
鎮座地 | 〒970-0224 いわき市平豊間字下ノ内100番地 |
宮司名 | 大嶺 常貴 |
連絡先 | (0246)55-8523 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
No. |
304 |
社名 |
佐麻久嶺神社 |
御祭神 | 五十猛命 |
例祭日 | 5月4日,5月5日,5月第4日曜日 |
鎮座地 | 〒970-8031 いわき市平中山字宮下81番地 |
宮司名 | 小野 祝平 |
連絡先 | (0246)28-4158 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 | (写真提供 後藤和博氏) |
No. |
305 |
社名 |
三島八幡神社 |
御祭神 | 品陀別命、息長足姫命 |
例祭日 | 9月14・15日 |
鎮座地 | 〒970-8024 いわき市平北白土字西之内31番地 |
宮司名 | 加藤 直明 |
連絡先 | (0246)23-3410 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
当社は品陀別命(十五代応神天皇)息長足姫命(神功皇后)母子二柱を奉斎して居り南北朝時代、北朝後小松天皇の御宇、応永十九(一四一二)年岩城の城主・白土下総守平隆忠公時、相模の国鶴ヶ岡八幡宮より南白土勝負田の地に勧請され慶長年間、平城主鳥居左京亮忠政の時、此地が洪水の常襲地であるを憂いて水難鎮護、五穀豊穣の祈願を以て北白土字西之内の現在の地に遷宮され、以後は北白土村・町分村(現在の五町目以東)・鎌田村・幕之内村・鯨岡村の六ヶ村民によって崇敬されて来た。 神社の主な行事としては例大祭宵祭には神事に引続き馬場先(現在の参道で川向いの所に太鼓橋があった)で流鏑馬が行われていた記録がある。慶長七年(一六〇二)に此地域に流行病(疫病)が広まり鳥居忠政公がその鎮静、村民安泰を祈願し獅子舞を奉納されて以来、この伝統文化は四百余年に渡り氏子(現在は青年会)により守られてきた。 代々城主内藤家の信仰厚く、社殿の造営改築重ねられ、各祭典・行事等には年毎に下向し厳修されてきた。昭和六十年まで代々城主手植されたと言う松が参道両側にいわき市に指定木として二十数本繁っていたが、松喰虫の被害により伐採した。その跡にウコン桜をはじめ数株の桜を植樹し、入学入社時の春には樹齢五百余年の枝垂桜と共に咲きはやし参拝者の心を和ませている。又宮司宅の金木犀はいわきの三古木と言われ、季節には遠くまでその優香を漂わせ遠昔を偲ばせ、人の心を慰柔しながら現存している。 また境内の一隅に学問の神である菅原道真公を奉斎している「菅原神社」があり通称「天神様」、その氏子の子供達は天神子と呼ばれ親しまれている。夏のお祭りには学業成就・合格祈願し多くの子供達が集まり賑いをみせる。この様に氏子・崇敬者達の心の拠りどころ、繁りの基となっている (令和4年3月28日更新) |
No. |
306 |
社名 |
澤村神社 |
御祭神 | 沢村勘兵衛勝為 |
例祭日 | 4月10日 |
鎮座地 | 〒970-0101 いわき市平下神谷字岸前210番地 |
宮司名 | 金賀 元彦 |
連絡先 | (0246)34-3543 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
由緒 江戸時代初期の慶安年間(1650)の頃、磐城地方は大干ばつに襲われ、幾十日も一滴の雨も降らず、田畑はひび割れ一粒の稲も実らなかった。時の平城主内藤忠興公は、家臣澤村勘兵勝為に管内の田畑干ばつ状況の検分を命じた。勝為は、大野郷より回村の折、泉崎村の光明寺に住職歓順法師を訪れ、旱害に苦しむ農民の救助策を談合し、歓順法師の示唆を受け、江筋開削の決意を固め、城主内藤公に進言し、工事奉行を拝命、承応元年(1651)、小川村関場の夏井川から引水開削の事業を起した。幾多の難工事の末、3年3ヶ月の月日を費やし、大小の水門17ヶ所、延長30キロメートルにおよぶ水路を完成し、水田1200ヘクタールを灌すに至った。小川江筋の完成で小川から四倉に至る村々は、水不足から解消され、多くの米が収穫されるようになり、農民の生活も豊かになった。然るに、勘兵衛勝為の功を妬む物の提訴によって、明暦元年(1655)7月14日に割腹し、43才をもって果てた。しかし、勘兵衛勝為の功により、水利に恵まれた小川江筋下2千有余の住民は、明治9年(1876)草野下神谷に澤村神社を建てて、永くその霊を祀った。現在は、いわき市民の飲料水としても、市の上水道に毎日3万6千トンの清流を供給している。 (出典 福島県神社名鑑) |
No. |
307 |
社名 |
出羽神社 |
御祭神 | 大物忌命 |
例祭日 | 9月15日 |
鎮座地 | 〒970-8021 いわき市平中神谷字石脇197番地 |
宮司名 | 佐藤 茂 |
連絡先 | (0246)34-3848 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
俵藤太(藤原秀郷)十世の孫出羽国熱海城主佐藤信濃守信貫公が、承元元年(1207)当地の座主館に来住して、出羽国一之宮鳥海山大物忌神社ならびに、出羽三山神社の神々を奉斎しました。領主片寄五郎義忠公の尊崇により、徳治年間(1306頃)、社殿が造営されました。享保三年(1718)正一位の神階を受け、大正十二年(1923)郷社に加列されております。 (出典 福島県神社名鑑) (写真提供 後藤和博氏) |
No. |
308 |
社名 |
立鉾鹿島神社 |
御祭神 | |
例祭日 | |
鎮座地 | 〒970-8021 いわき市平中神谷字立鉾33番地 |
宮司名 | 佐藤 大和 |
連絡先 | (0246)34-2106 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
一、神社の歴史・由緒 立鉾鹿島神社の「立鉾(たてほこ)」の地名は、神社に祀られている御祭神「武甕槌神(タケミカヅチノカミ)」が、 東北を平定するためこの地に至り、当時「塩干山」と呼ぱれていたこの山に登り「鉾」を立て、これから進む東方を眺望したことから、『立鉾」の名で呼ぱれるようになりました。 立鉾鹿島神社の歴史は、大変に古く社伝によりますと、平城天皇朝・大同二年(西暦八〇七年、今から凡そ千二百年前)当地に魍魎が現われ、人々を悩ませました。当時の神職でありました藤原朝臣信次が、辻々に「鉾」を立て、社内に篭もり祈願し退治したと伝えられています。つまり、これ以前に創祀された事になりますが、詳細については不明です。さらに、日本三代実録によりますと貞観八年(西暦八六六年)当時、鹿島神宮の苗裔の神と して磐城郡に十一の社が祀られていると記載されていますが、当社はその一社と考えられます。 当初社殿は、山頂に建てられましたがその後、天暦三年(西暦九四九年)に当時の領主赤目崎住前出羽守平朝臣則重により、山下東北に再建されました。 しかし、天正元年(西暦一五七三年)焼失し、同五年(西暦一五七七年)領主岩城左京太夫平親隆により現在の地に造営されました。 当神社は、歴代の領主の信仰がたいへん篤く、社殿の造営・祈願、また多くの奉納品の寄進を受けています。奉納品のなかでも「猿田彦(さるたひこ)面」・「神輿(みこし〉」・「額面」・「纏(まとい)」は、社宝として大切に保存されています。 江戸時代までは、正一位立鉾大明神とも称されていましたが、明治になり現在の社号となりました。 二、御祭神・御利益 御祭神は武甕槌神(タケミカヅチノカミ)で、御本社は茨城県に鎮座しております鹿島神宮です。 御利益は神谷総鎮守として氏子の皆様の平穏無事の守護神として信仰されています。また、武徳の神様として広く知られ、立身出世・安産・交通安全の神さまとしても信仰されています。 三、例大祭 例大祭は、例年五月四日に斎行されています。祭典には氏子の児童による稚児舞が奉奏されます。また、氏子青年の奉仕によって神輿渡御が執行され、上神谷・中神谷の字内を巡行致します。併せて、子供神輿も巡行いたします。 (出典 福島県神社名鑑) |
No. |
309 |
社名 |
白山神社 |
御祭神 | 菊理比咩命、伊邪奈岐命、伊邪奈美命 |
例祭日 | 5月4日 |
鎮座地 | 〒970-0102 いわき市平下大越字石田167番地 |
宮司名 | 鈴木 友房 |
連絡先 | (0246)39-2863 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 | 当白山神社は、天平神護元年(第四十八代稱徳天皇の御代・キリスト暦七六五年)にこの土地に国分寺が建立されると同時に、その国分寺の守護神として、奉斎されました。が、寛治三年(第七十三代堀川天皇の御代・キリスト暦一〇八九年)源義家公の兵火に遭って、国分寺の大伽藍が焼失してしまい、その後は衰退して社殿も荒廃してしまいました。しかし、建武二年(第九十六代後醍醐天皇の御代・キリスト暦一三三五年)陸奥国鎮守府将軍北畠顕家公の命を受けた当地方の延舘(当地方を治めた城主の居城)城主大越掃部亮治が、社殿を再興して菅原友房に社事を司らせました。その後、大乗坊山安祥院の守護神として祀られ、宝暦三年(桃園天皇の御代・キリスト暦一七五三年)社殿を改築し、羽黒白山大権現と称されておりましたが、明治二年(キリスト暦一八六九年)神仏分離令により、「白山神社」として現在に至っております。尚、現在の社殿は、昭和四十一年(キリスト暦一九六六年)に更新築されたものです。 |
No. |
310 |
社名 |
八劔神社 |
御祭神 | 日本武尊 |
例祭日 | 5月3日,5月4日 |
鎮座地 | 〒970-0221 いわき市平下高久字馬場300番地 |
宮司名 | 高木 正順 |
連絡先 | (0246)39-2438 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
当社は往古は住吉大明神を祭神として小さな社殿であり、下高久小舘(小舘高久小次郎の居城)の西山に置かれ、氏神として崇敬を受けていた。勧請は平安時代の中頃の天喜年間(1053~1057)であり、源頼義公と源義家父子が京の都の藤原氏の政治にあくまでも従おうとしない、東北の豪族の雄、安部一族の頼時・貞任を討つ命令を受け、鎮守府将軍を兼任しながら東夷征伐(前九年の役)に来られた際に、氏神八劔明神に八幡太郎義家公が詣で自分が帯刀していた鶴丸の宝剣に錦の御旗を添え奉納し、必勝を祈願すると共に、更には源氏の地の尾張国熱田宮より日本武尊の遺品の一部を移し勧請、八劔神社と呼ぶようになった。以来社殿の造営も行われたが、その後火災に見舞われ、勧請の地小舘の山頂より鎌倉時代の建長二年(1250)に現在の地、馬場300番地に岩崎氏の保護と敬神の支援で神社社殿の再建が行われ勧請鎮座された。更にその後、延亨元年(1744)に磐城内藤備後守のご加護を受け本格的な社殿を御造建された。それが現在の本殿である。尚、その後寛政十年(1798)十一月に現在の神社同様の本殿に拝殿、幣殿を加えた神社として整備され、その後天保二年(1831)に雨屋も完備し神社としての環境を整え現在に至っている。昭和の時代になり本殿の土台あげ、拝殿の屋根ふきかえなどの改修が行われた。また、勧請の地小舘に「奥宮」を再建した。また、平成15年5月より内藤公のご加護を受けて造営された幣・拝殿を新改築をし本格的神殿の整備中である。※本殿の彫刻は神功皇后の新羅征討を表現したものや古代神話などが現れている。拝殿天井には龍の彫刻がほどこされ重要文化財としての価値があるとされている。例大祭春は神輿祭、秋は獅子舞が施祭されている。 (出典 福島県神社名鑑) |
No. |
311 |
社名 |
金倉稲荷神社 |
御祭神 | 倉稲魂大神 |
例祭日 | 旧初午 |
鎮座地 | 〒970-0223 いわき市平薄磯字南作乙295番地 |
宮司名 | 鳥居 吉治 |
連絡先 | (0246)39-3222 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
No. |
312 |
社名 |
二荒神社 |
御祭神 | 田心姫命、大己貴命、事代主命 |
例祭日 | 5月4日,9月第1土曜日 |
鎮座地 | 〒970-8042 いわき市平上高久字植田郷159番地 |
宮司名 | 永山 正満 |
連絡先 | (0246)23-8568 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
創立年代不詳。上高久二荒山に鎮座。奥州磐城の二荒神社三座のうちの一つで、古来上高久千石村の産土神として氏子の中心をなしている。社殿の背後は古墳とも、また往古の神の斎場とも言われている。そのむかし、下野国二荒山の瀧尾神社の田心姫命の勧請したのに始まり、後に本宮の大己貴命を勧請して二荒権現と称された。明治維新に際して、祭神を新たに勧請し社号を現在名に改めた(古文書)。旧幕時代は二反二畝二十三歩の宮田を有し、元禄十六癸未年八月には内藤能登守義孝、続いて宝暦四甲戌年には井上河内守利容から改めて除地されている。正保三乙酉九月には内藤刀帯忠興が御成りになっている(内藤家文書)。境内の傍らの道は片浜街道の古道である。現在の社殿は元禄十二年の建築で、明治十三年に修築された鞘堂で保護されていたが、戦後まもなく撤去され現在に及ぶ。例大祭は四月七日であったが、戦後五月五日に改められた。大正中期までは豊間村海岸に神輿の渡御があり潮祓いの行事がおごそかに行われていたが、現在は中止されている。御祭神の御仁徳、御霊験のあらたかなること言を俟たない。特に田心姫命は田畑の神様である。 (出典 福島県神社名鑑) |
No. |
313 |
社名 |
大國魂神社(おおくにたまじんじゃ) |
御祭神 |
大己貴命、事代主命、少彦名命、須勢理姫命 |
例祭日 | 5月3日 |
鎮座地 | 〒970-0105 いわき市平菅波字宮前54番地 |
宮司名 | 山名 隆弘 |
連絡先 | (0246)34-0092、FAX(0246)34-0093 |
0092sma@gmail.com | |
URL | https://www.ookunisama.jp |
その他 | |
御由緒等 |
御由緒・神事等
『続日本紀』という日本の歴史記録がありますが、そのなかに、今からおよそ1300年前の養老2年(718)5月2日にはじめて登場します。「石城」という字があてらてれいます。石城国(いわきのくに)が建ておかれた貴重な記録です。 それ以前、奈良の都から皇子さまである「建古呂命(たけころのみこと)」が派遣され、初代の石城国造(いわきのくに の みやつこ)となりました。当時の国衙(こくが=県庁のような役所)は大國魂神社の東方4㎞の根岸官衙遺跡(ねぎし かんが いせき=国指定史跡)におかれていました。 ふるくから日本では、統治者が天神地祇(てんしんちぎ=あまつかみ・くにつかみ)をお祭りし、国家・国土の安泰と発展を祈ってきました。おそらく建古呂命もまた、「いわき」の地で同じような祭りをおこなったと思われます。その祭りの場所が「大國魂神社」です。それ以前からこの地方の祭りはおこなわれていたことでしょう。大國魂神社の創立はずっと以前にさかのぼることができますが、「いわき」の名前が歴史に登場した時期、養老2年(718)5月2日以前と考えることができます。 以来、代々の領主・藩主のお参りを受けつづけ現在に至っています。「いわき」の成長・発展の歴史とともに長い年月を経てきました。 古い貴重な文化を現在までうけついでいるものも多く、神社の森や本殿の建築物、大和舞(やまとまい)という神さまにささげるお神楽(かぐら)、御神輿(おみこし)のお祭り、むかしの歴史を記した「國魂文書(くにたまもんじょ)」など、多数が文化財に指定されております。また、伝説や伝承といった口伝えの物語もいくつかあります。機会がありましたら、お話ししたいと思います。 大國魂神社の「飛び地境内(とびち けいだい)」である、「甲塚古墳(かぶとつか こふん)」は建古呂命のお墓と推定され、国の貴重な文化財として指定されています。 |
No. |
314 |
社名 |
新山神社 |
御祭神 | 大日・貴命 |
例祭日 | 5月4日 |
鎮座地 | 〒970-0103 いわき市平藤間字中之内73番地 |
宮司名 | 山名 弘之 |
連絡先 | (0246)39-2560 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
No. |
315 |
社名 |
愛宕花園神社 |
御祭神 | 珂遇突智命、木花開爺姫命、瓊瓊杵命 |
例祭日 | 5月2日,12月日曜日 |
鎮座地 | 〒970-0101 いわき市平下神谷字宿183番地 |
宮司名 |
吉田 仁一 |
連絡先 | (0246)34-3880 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
No. |
401 |
社名 |
鹿島神社 |
御祭神 | 武甕槌命 |
例祭日 | 9月第2土曜日 |
鎮座地 | 〒973-8406 いわき市内郷高野町表45番地 |
宮司名 | 大榊 直行 |
連絡先 | (0246)36-3296 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 | (写真提供 後藤和博氏) |
No. |
402 |
社名 |
熊倉神社 |
御祭神 | 大山祇命 |
例祭日 | 9月12日,9月13日(現在は、9月第2土曜日・日曜日) |
鎮座地 | 〒979-3203 いわき市川前町上桶売字宮下76番地 |
宮司名 | 酒井 理夫 |
連絡先 | (0246)84-2924 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
長久二年(一〇四一)藤原山城守精隆、近江国滋賀郡(現、滋賀県)より遷座、法陵宮と称す。天分十七年(一五四八)三月廿七日、大旦那佐藤伊勢守行信により再建せらる。法陵宮(法陵大権現)と称し、旧小白井村、上桶売村、下桶売村、川前村四か村総鎮守であった。明治二年五月三日(一八六九)神祇官ヱ出頭、旧神号法陵大権現宮を熊倉神社と称せられ、同六年三月元磐前県庁より村社に列せられる。 勧請は天文十七年(一五四八)三月廿七日 (出典 福島県神社名鑑) (写真提供 後藤和博氏) |
No. |
403 |
社名 |
諏訪神社 |
御祭神 | 事代主命、武御名方命 |
例祭日 | 9月第1日曜日 |
鎮座地 | 〒979-3122 いわき市小川町塩田字宮ノ後67番地、小川町高萩字家ノ前140番地 |
宮司名 | 白土 陽朗 |
連絡先 | (0246)83-0178 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 | (写真提供 後藤和博氏) |
No. |
404 |
社名 |
諏訪神社 |
御祭神 | 建御名方命 |
例祭日 | 7月第4土曜日,7月第4日曜日 |
鎮座地 | 〒979-0201 いわき市四倉町字西三丁目60番地 |
宮司名 | 鈴木 宣之 |
連絡先 | (0246)32-2485 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |
No. |
405 |
社名 |
熊野神社 |
御祭神 | 月夜見命、大山祇命 |
例祭日 | 9月第1土・日曜日 |
鎮座地 | 〒970-1153 いわき市好間町上好間字小舘1番地 |
宮司名 | 吉田 定宏 |
連絡先 | (0246)36-3354 |
URL | |
その他 | |
御由緒等 |